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東京地方裁判所 平成3年(ワ)4807号 判決

原告

梅田裕

外三七名

右三八名訴訟代理人弁護士

富田均

中西義徳

被告

学校法人日本大学

右代表者理事

柴田勝治

右訴訟代理人弁護士

小谷野三郎

鳥越溥

武内更一

芳賀淳

小谷野三郎訴訟復代理人弁護士

中村巌

笠巻孝嗣

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  原告らが、それぞれ日本大学医学部附属練馬光が丘病院の職員としての雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告らに対し、平成三年四月一日から毎月二五日限り、別紙原告一覧表の各給与欄記載の金員をそれぞれ支払え。

第二  事案の概要

本件は、社団法人練馬区医師会(以下「医師会」という。)が開設した練馬区医師会立練馬光が丘総合病院(以下「医師会病院」という。)が日本大学医学部附属練馬光が丘病院(以下「日大光が丘病院」という。)に変わったことについて、医師会病院の医師、看護婦、事務職員等として勤務していた原告らが雇用契約上の地位の承継を主張して、被告との間で職員としての地位の確認と賃金の支払を求めている事案である。

一  争いのない事実等

1  原告らは、医師会との間で、別紙原告一覧表の各就職年月日欄記載の日にそれぞれ雇用契約を締結した者であり、平成三年三月三一日における原告らの医師会病院における地位、資格及び給与月額(基準内賃金)は、それぞれ同一覧表の地位、資格及び給与の各欄に記載されたとおりである(原告須賀精一本人、弁論の全趣旨)。

2  医師会は、平成三年三月八日付け書面により、原告らに対し、同月末日をもって解雇する旨を通告し、同日をもって医師会病院を廃止した。他方、被告は、日大光が丘病院の開設許可を受けて、同年四月一日、医師会病院が使用していた建物において日大光が丘病院を開設した。

二  争点

原告らと医師会との間の雇用契約上の地位が被告に承継されたか否か。

(原告らの主張)

1 病院事業の譲渡に伴う雇用関係の承継

医師会病院の病院事業は、次に述べる理由で平成三年四月一日、被告に譲渡された。病院事業の譲渡に際し、職員の雇用契約上の地位は、これを引き継がない旨の合意がない限り、新事業主に引き継がれると解すべきであるが、本件では、病院事業の譲渡に際し、医師会と被告との間に原告らの雇用契約上の地位を承継しない旨の合意はないから、原告らを含む医師会病院の職員全員の雇用契約上の地位は、病院事業の譲渡に伴い、被告に承継されたものである。

(一) 病院事業の譲渡

(1) 病院事業の譲渡の要件

商法上の「営業譲渡」は、一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産(得意先等の経済的価値ある事実関係を含む。)の全部又は重要な一部を譲渡し、これによって譲渡会社がその財産によって営んでいた営業的活動の全部又は一部を譲受人に受け継がせ、譲渡会社がその譲渡の限度に応じ法律上当然に競業避止義務を負う結果を伴うものをいうとされているが、病院事業の場合、医療行為がその中心をなし、営利企業の場合と異なり経済的価値を問題にしているのではないから、病院事業の譲渡の概念も、有機的一体として機能する財産の利用権限の移転をもって足りると解すべきであり、病院事業の譲渡の要件も、①病院経営目的のため組織化された有機的一体として機能する財産(患者等の事実関係も含む。)の利用権限を移転し、②譲渡人がその財産によって営んでいた病院事業を譲受人に受け継がせることと解すべきであり、その判断は客観的になされるべきである。したがって、病院事業の譲渡か否かの判断は、前後の病院の同一性を有するか否かの判断に尽き、「病院経営主体の変更」も同義と解すべきことになる。

(2) 医療法上の取り扱い

同一建物・設備を利用して旧経営者とは別の新経営者が病院を経営し、前後の病院が同一性を有する場合、医療法上、旧経営者による病院廃止届と新経営者による病院開設許可が必要であるが、病院廃止届の廃止理由欄には、「病院経営主体変更のため」と記載される。また、同法三〇条の七及び行政通達(昭和六一年八月三〇日健政発第五六三号「医療計画について」)によれば、医療計画につき、病院の開設により当該医療圏の病床数が必要床数を超える場合、都道府県知事から病床数の増加等に関して勧告がされることがあり、厚生省健康政策局の実務運用では、右勧告に従わない場合、当該病院に対して保険医療機関の指定をしないこととしている。他方、右通達によれば、病院の開設者に変更があった場合であっても、その前後で病床の種別ごとの病床数が増加されないときは、勧告を行わないとされ、右実務運用では、病院の開設者の変更とは、医療継続があり、前後の病院に同一性が認められる場合を指し、この場合には、右勧告は行わないとしている。

本件では、医師会が東京都知事に提出した医師会病院の病院廃止届の廃止理由欄その他関連届書の理由欄には、「病院経営主体変更のため」との記載があり、被告が日大光が丘病院の開設許可を受ける時点の医療計画では、当該医療圏においては既に必要病床数を超えていたため、病院開設許可を得るには病院の開設者の変更と主張する必要があった。厚生省も、医師会病院と日大光が丘病院とは、その前後に同一性があるとの認識を示している。要するに、被告は、医療法上、医師会病院と日大光が丘病院の同一性を主張し、かつ、行政機関からそのように認められていたのである。

(3) 患者の取扱い

医師会病院の患者は、入院患者、通院患者とも平成三年四月一日の前後を通じてそのまま取り扱われている。また、保険診療の場合、前後の病院の同一性を有する場合に初めて従前の患者に再診料を請求することが許されるが、被告は入通院患者に対し、再診料を請求していた。

(4) 財産関係

病院事業の財産面での中心をなすものは、建物、車両運搬具、医療機器、什器備品、消耗品類等であるところ、これらは一旦医師会から練馬区に所有権が移転し、その後、練馬区が被告に貸与する形式になっており、また、電話加入権、業務委託契約、医薬品その他の医師会病院が病院経営に必要としていたものの法律関係は、被告がこれらを引き継ぐこととされるなど、医師会病院が有していた医療目的のため組織化された有機的一体として機能する財産(患者等の事実関係も含む。)の全ての利用権限が、練馬区を介在して被告に移転し、被告はこれらを利用して日大光が丘病院を営んでいる。

(5) 人的関係

被告は、日大光が丘病院の職員について、医師会病院の職員をそのまま使用するつもりで他に募集手続は一切行わず、また、医師を除く職員のライセンスのコピーを病院開設許可申請書の添付書類として提出し、平成三年四月一日以降、医師と事務職員の一部を被告から送り込んだほかは、医師会病院の職員で日大光が丘病院を運営しているが、医師会病院の職員で被告への移行を希望した者のうち、採用を拒否されたのは原告らのみである。

(二) 原告らの雇用契約上の地位の当然承継

雇用の現場では、旧事業主との間で退職届の提出又は解雇手続により雇用契約の終了を明確にするとともに、新事業主との間で採用手続により雇用契約の発生を明確にすることが多いが、これは、雇用契約上の地位の承継が円滑かつ明確に行われるための形式的手続に過ぎず、事業譲渡に際し、解雇手続や採用募集手続が介在することは、雇用契約上の地位の当然承継と解することに何ら妨げにはならない。本件では、平成三年三月八日付けで医師会から原告らを含む医師会病院の職員全員に対して同月末日をもって解雇するとの手続がなされ、同年四月一日、被告において採用手続をしているが、これは形式的手続に過ぎない。

2 雇用契約上の地位の承継の合意

仮に、雇用契約上の地位の承継にあたり、何らかの合意が必要であるとしても、本件では、以上に述べる理由により、被告は、練馬区を通じて医師会との間で、条件付きながら原告らの雇用契約上の地位を承継する旨の合意をしており、これを否定することは許されない。

(一) 説明会における練馬区、医師会及び被告の説明

平成三年三月七日に開催された医師会病院の職員に対する説明会の席上、練馬区の小野田稔衛生部長(以下「小野田部長」という。)、医師会の平田統一会長(以下「平田会長」という。)及び被告の横山勝治日大板橋病院事務長(以下「横山事務長」という。)は、異口同音に日大光が丘病院での勤務を希望する者は被告で引き受ける旨を述べており、被告が一部の者を排除するなどという話は一切出ていない。

(二) 練馬区の考え方

練馬区は、医師会病院の新経営主体の選定に関し、職員の雇用保障を挙げ、区議会において職員の身分保障に関する陳情が採用され、平成三年三月二一日付け「ねりま区報」に職員は希望者全員が被告に採用される旨の記事を掲載し、区民に配布していた。

(三) 医師会の考え方

医師会は、平成三年二月五日付けで、医師会病院の医師の派遣先大学の各教授に対し、一方的な医局員の更迭、解雇等は考えていない旨の書簡を送付し、同年三月三一日付けの「区民の皆様へ」と題するチラシには、解雇予告通知が単なる形式的な手続に過ぎないという趣旨のことを記載していた。

(四) 被告の考え方

被告は、平成二年一一月二一日開催の病院説明会や練馬区の説明から、医師会病院の職員の身分保障が当然の前提であることを了解し、その後の練馬区との個別ヒアリングの席上でも、大筋で職員の身分保障を了解していた。特に、医師の身分保障に関し、被告は、医師会病院に外科医を派遣している木村東京医科大学教授(以下「木村教授」という。)からの「医師会長から派遣大学に医師の更迭、解雇等はしない旨の通達が出されており、貴大学もこれを了承しての経営になることと思います。」との書簡に対し、何らの対応もとっていない。さらに、被告の練馬区に対する平成三年三月六日付け回答書には、採用条項において、経過措置期間を設けるものの、採用時には医師会病院の労働条件をそのまま適用することを明言している。

(五) 病院事業譲渡の特殊性

人の生命、身体、健康を対象とする病院経営は、物の製造や販売等の経営とは本質的に異なり、継続的に「人が人を看る」関係がある日突然引き継ぎもなく交代することは考えられない。練馬区及び医師会が職員の身分保障を考えざるを得なかったのは、単に職員の雇用安定のためばかりでなく、「生きている病院」の継続のためには職員と患者を切り離すことが病院の性格上できなかったからに他ならない。こうした病院事業譲渡の特殊性の観点からしても、医師会と被告との間に職員の雇用契約上の地位を承継する合意があったことは明らかである。

(被告の主張)

1 被告は、医師会から医師会病院の事業を譲り受けたことはなく、医師会との間で、医師会病院の職員について雇用契約上の地位承継を合意したこともない。

2 医師会病院の廃止と日大光が丘病院の開設の経過

医師会病院は、昭和六一年以降毎年数億円以上の赤字を計上し、平成元年度には総額約六七億円の累積債務を抱え、さらに毎月一億円以上の赤字を累積し、平成二年二月ころには、銀行から赤字体質を解消しない限り追加融資はできない旨の方針が示されるなど財政的に破綻し、早晩廃院せざるを得ない状況にあった。医師会は、再建計画を立案したが職員らの反対で実行できず、同年九月四日の臨時代議員会総会で医師会病院の経営を断念する旨を決議し、医師会病院の廃院が確定的となったが、地域住民に対する医療行為の提供が断絶されないよう、毎月赤字を計上しながらも平成三年三月三一日まで医師会病院を継続した。そして、医師会は医師会病院の廃院に伴い、職員を全員解雇せざるを得なかったものである。他方、練馬区は、地域住民に対して総合的な医療を提供する必要性から、新たに病院開設の意欲を有する者を募集し、被告を誘致することになった。その際、医師会は、医師会病院の建物及び設備を換価しその代金を負債の一部に充当せざるを得なかったこともあり、練馬区がこれらを買い取り、被告に貸し付けることにした。被告は、大学本部及び医学部の財政的基盤、人的資源を背景に、独自の判断で新たに医学部付属病院としての機能を持たせた日大光が丘病院を開設し、経営することを決定した。

このように、被告に医師会病院の事業を買い取るという意図は全くなく、日大光が丘病院は、あくまで新たに開設した病院であり、医師会病院とは別個独立のものである。

3 日大光が丘病院の職員の採用

被告は、日大光が丘病院を開設するにあたり、医師会病院の職員について、あくまで新たに被告の教員、職員としての雇用を希望する者につき被告所定の手続を経て採用を決定したもので、被告の提示する条件を受け入れるのであれば希望者は全員採用する基本方針であったのであり、医師会との間で職員の雇用契約上の地位を承継することを合意したものではない。

第三  争点に対する判断

一  事実の経過

甲第一ないし第六、第一一ないし第一八、第二四ないし第二七、第三一、第三八ないし第四一号証、第四二号証の一、二、第四三ないし第四七号証、乙第一ないし第五、第一四号証、証人平田統一、同小野田稔及び同横山勝治の各証言、原告須賀精一及び原告梅田裕各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  医師会病院は、練馬区策定の光が丘地区医療施設誘致構想に応じ、医師会が昭和六一年一一月に開設した診療科目数一一の総合病院であり、その敷地は練馬区と医師会との協定に基づいて練馬区から無償で貸与されていた。ところが、開設当初から多額の病院建設費の借入債務を負い、加えて慢性的な看護婦不足、一〇〇床以上の遊休施設を抱えるなどの原因で、病院の業績は次第に悪化し、平成二年二月ころ立案した再建計画も職員らの反対等にあって実施することができず、同年九月時点における累積債務は約八九億円にも達し、さらに毎月の赤字が一億円を超えるような状況になったため、医師会は、同月四日、医師会病院の経営を断念し、病院経営主体の変更を練馬区に一任することを決定して、同年一〇月八日以降、医師会病院の敷地の所有者であり、かつ病院開設の推進者でもあった練馬区との間で協議を重ねた。その結果、練馬区が医療行政の一環として医学部を有する大学を中心に新経営主体を選定すること、その選定の基準は、病院経営の考え方、累積債務の処理、職員の身分保障の対応如何によるものとされた。

2  練馬区と医師会は医師会病院の新経営者の選定にあたり、平成二年一一月二一日、在京の大学、医科大学等の関係者の出席を求めて説明会を開催し、病院経営の考え方、負債の対応、約三七〇名の職員の身分保障の対応について、同月三〇日までに文書で回答するよう要求し、被告を含む四大学から回答があった。練馬区は、同年一二月ころ、これら四大学と個別にヒアリングを実施し、被告からは職員の身分保障について、「個別的なツメは残っているが、充分解決可能な問題と考えている。」旨の回答が得られた。その後、練馬区は、内部に設けられた光が丘総合病院新経営主体選定委員会が平成三年一月二三日に被告を新経営主体に決定した旨の答申を受けて、医師会にその旨を報告したうえ、同月二五日付けで被告に対し、医師会病院の経営に関する照会をした。

3  被告は、その後内部に検討委員会を設置し、内定の諾否について練馬区及び医師会から資料や情報を収集して種々議論を重ねた結果、理事会の承認を経て、練馬区に対し、概ね次のとおり、右照会に対する同年三月六日付け回答書をもって回答した。

(一) 医師会病院の適正な手続による廃止が行われ、練馬区が同病院の全ての債務を引き受け、責任をもって清算されること。全ての累積債務は、練馬区が債権者との間に債務引受契約(被告は一切の債務を引き受けない。)を締結し、議会の承認を得るなどの法的手続を完了させること。

(二) 医師会病院の医師、職員については、平成三年三月三一日付けをもって医師会及び医師会病院が退職手続を完了し、同日までに有している労働契約上の権利義務を清算すること。なお、退職手続完了後、医師会病院に勤務していた者が新たに被告の教員及び職員として雇用されることを希望する場合には、被告が所定の手続を経て採用を決定するが、同病院における役職者についての役職は承継しないこと。右清算後、新たに被告の教員及び職員として採用される者には、経過措置期間を設定し、同期間中は従前の労働条件を適用し、漸次被告の諸規程を適応させるものとすること。

(三) 被告は、練馬区と光が丘病院(仮称)の経営に関する契約を締結し、新たな大学の付属病院を設置すること。契約の方法は、医師会が医師会病院の施設・設備一式を練馬区に移管した後、その財産(建物・医療機器等)について被告が練馬区と賃貸借契約を締結する、いわゆる公有財産貸付方式とすること。

4  医師会は、同年三月七日、練馬区の小野田部長及び被告の横山事務長の出席を得て、職員らに対する説明会を開催した。席上、平田会長は、医師会病院を同月三一日をもって廃止し、近日中に就業規則に基づいて解雇予告通知を行う予定である旨を説明し、横山事務長は、職員の雇用継続の要望に対し、右3の回答書の方針と同一である旨説明した。その後、医師会は、同月八日付け書面で原告らを含む医師会病院の職員全員に対し、同月三一日をもって解雇する旨を通告した。

5  被告は、同年三月一八日、医師会病院の医師を除くその余の職員らに対し、職員募集要項を送付したうえ、同月二〇日及び二二日、職員採用説明会を開催し、さらに、同月二六日には右申込みをしなかった職員に対し、再度募集要項、就職申込書及び就職辞退届を送付して、同年四月一日以降日大光が丘病院での勤務を希望する職員を募集し、これに従って就職の申込みをした者全員を採用した。しかし、被告に従前と同一条件での雇用を求め、特に「労働条件については、職務上の地位を含めて医師会病院におけるのと同一であること、勤務年数については右病院時代の年数が通算されること、以上の条件が満たされない場合は、医師会に対して有していた労働契約上の地位が当然に被告に承継されることを主張する。」との条件を付して就職の申込みをした原告ら(医師会病院の事務長であった原告須賀精一(以下「原告須賀」という。)を除く。)については、条件が相当ではないとして、同月二八日付けで採用拒否を通告した(なお、原告須賀は被告に対し、就職辞退届を提出していた。)。また、医師に対しては、被告は、同月二二日及び二九日に説明会を開催し、同年四月一日以降日大光が丘病院での勤務を希望する者は、日大医学部の教員(医局員)として待遇すること、教授等の資格の付与は追って医学部教授会において審査の上決定し、大学が任命する旨を説明したが、右条件に応じて新たに採用を申し込む者はなく、被告の医局から派遣されていた医師を除き、日大光が丘病院に引き続き勤務する者はいなかった。以上のとおり、被告は、日大光が丘病院の職員については、専ら医師会病院の職員であった者を募集の対象とし、他に募集手続を行わなかった。

6  医師会は、東京都知事に対し、「病院経営主体の変更」を理由に、平成三年三月三一日をもって、医師会病院の病院廃止届、救急医療機関申出撤回届並びに保険医療機関、保険薬局及び療養取扱機関に関する廃止届をし、練馬区に対し、同年四月一日付けで病院建物を代金四六億三五〇〇万円で売却するとともに、医療機器その他の備品、車両運搬具を寄付し、消耗品類の処分を一任した。他方、被告は、医師会との間で、同年三月三〇日付けで「医療の引き受け方に関する覚書」を交わし、医師会病院における医療の引き受けを受諾するとともに、右引き受けが医師の身分及び主治医としての医療行為の引き継ぎを含むものではないことを確認し、病院施設・設備等の管理面における取扱いについて協力し合うことを約した。そして、被告は、医師を除く医師会病院の職員のライセンスのコピーを添付書類として、病院開設許可申請をして、同月二二日に東京都知事から病床数三〇〇床とする病院開設許可を、同月三〇日には病院使用許可をそれぞれ受け、同年四月一日付けで日大光が丘病院の病院開設届をした。また、同日、練馬区との間で、同日以降、病院の建物は有償で、医療機器その他の備品等については無償で練馬区からそれぞれ貸与を受け、日大光が丘病院が公的な目的と機能をもって運営されること、地域医療の中心的機能を持ち、練馬区の地域保険医療活動に協力する病院であることを確認する旨の協定を締結したうえ、従前医師会病院が使用していた建物等の施設を使用して、従来の診療科目に放射線科を加えて、日大光が丘病院を開設した。同日以降、同病院では、医師会病院から引き続き入通院している患者のカルテに関しては、従前のものと色分けした上で継続使用し、診療費の請求については、初診料が請求されたり再診料が請求されるケースがあって、統一した取扱いはされなかった。

二  判断

1  病院事業の譲渡に伴う雇用関係の承継について

右に認定した事実によれば、従前医師会病院で使用していた建物、車両運搬具、医療機器、什器備品、消耗品類等を日大光が丘病院としても使用していること、医師会病院の廃止、日大光が丘病院の開設にあたり、医療法上、「病院経営主体の変更」があったものとして手続が行われ、医師会と被告との間で医療の引き受けに関する覚書が作成され、主治医としての医療行為を除き、患者に関する医療行為が、右廃止・開設の前後を通じて一貫して継続されたこと、日大光が丘病院において、平成三年四月一日以降医師会病院から引き続き入通院している患者に対して初診料ではなく再診料を請求する例があったこと、被告は、医師会病院の職員をそのまま使用するつもりで他に募集手続を行わず、医師を除く職員のライセンスのコピーを病院開設許可申請書の添付書類として提出していること、医師会は、平成二年九月四日の時点で医師会病院の経営を断念し、病院経営主体の変更を練馬区に一任することを決めていることなど、原告らの主張に沿う事実が認められる。しかしながら、先に認定した事実及び弁論の全趣旨によれは、医師会は医師会病院を廃止して同病院の建物及び医療機器等の諸設備を練馬区に売却するなどして譲渡したもので、被告は、同病院の建物、医療機器等の諸設備及び建物敷地を所有する練馬区との間で、病院経営に関する協定を締結し、建物及び医療機器等の諸設備の貸与を受けるなどして日大光が丘病院の経営を開始したものであること、医療法上の取扱いや医療行為が継続された点は、一日の空白も許されないという医療の特質及び医療行政上の要請によるものであり、再診料の請求の点も、患者の負担軽減のために特別にとられた措置であると考えられること、医師会病院の職員の身分については、被告は当初から医師会に対して雇用契約上の権利義務の清算を要求し、そのうえで希望者について新たに被告の職員として採用するという方針を一貫してとっていること、病院経営主体の変更を練馬区に一任したのは、医師会病院の廃止の原因が医師会にあることを表明するためと、同病院が練馬区の誘致構想に基づいて開設されたという経緯に鑑みて行われたものであって、これにより病院事業の譲渡先を練馬区に委任したとまでみることはできないことなどを考慮すれは、原告らの主張に沿う前記の事実が認められるからといって、医師会病院の病院事業が医師会から被告に譲渡され、これに伴い原告らの雇用契約上の地位が当然に被告に承継されたものとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

よって、病院事業の譲渡に伴う雇用関係の承継に関する原告らの主張は理由がない。

2  雇用契約上の地位の承継の合意について

前記認定の事実によれは、練馬区及び医師会が医師会病院の新経営主体の選定にあたり、職員の雇用継続を重要な要素と考えており、被告もこれを受けて、雇用を希望する医師、職員を日大光ケ丘病院において受け入れ、被告の教員、職員として採用する方針であったことが認められる。そして、甲第一九ないし第二二、第四七号証並びに証人平田純一、同小野田稔及び同横山勝治の各証言によれば、医師会病院の職員らは、かねてから雇用継続を要望し、練馬区議会で陳情、請願が採択され、練馬区長及び平田会長も職員らの「雇用保障」あるいは「雇用継続」という表現を含んだ発言を行っており、平田会長は木村教授に対し、平成三年二月五日付け書簡で医局員の一方的な更送、解雇は考えていない旨を表明しており、原告須賀も同年三月七日開催の説明会において、同趣旨の発言をしていることから、職員らが、同年四月一日以降も新経営主体のもとで引き続き勤務できるものと信じていたものと認められる。さらに、甲第三三号証の医師会発行のチラシには、医師会の解雇手続が被告に雇用されるための形式的手続に過ぎないという趣旨の記載があるし、甲第三五ないし第三七号証の各一、二及び弁論の全趣旨によれば、木村教授が被告に対し、同年二月二〇日付けの書簡で「平田会長から医師の更送、解雇はしない旨の通達が出されており、貴大学もこれを了承しての経営になることと思います。」と述べているのに、被告がこれに対して何らの対応をしていないことが認められる。しかしながら、先に判示したとおり、被告は、医師会病院の医師、職員について、医師会に対して雇用契約上の権利義務の清算を求め、そのうえで希望者との間で新たに雇用契約を締結する意思であったものであり、医師、職員の雇用契約上の地位をそのまま承継する意思を有していなかったことは明らかであるから、被告と医師会との間に原告らを含む職員の雇用契約上の地位を承継する旨の合意がなされたということはできない。

したがって、雇用契約上の地位の承継の合意に関する原告らの主張もまた理由がない。

三  結論

以上によれば、原告らと医師会との間の雇用契約上の地位が被告に承継されたことを前提とする原告らの本件請求は、いずれも理由がないからこれを棄却して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官萩尾保繁 裁判官片田信宏 裁判官島岡大雄)

別紙原告一覧表〈省略〉

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